波乱万丈という意味なら、誰にも負けないと思う。

誰がどこまで知っているかわからないけれど、すごく色々なことがあった。 どの分野においてもだ。 ドラマチックだの嘘くさいだの言う人もいるけれど、その中で生きる側にとっては本当に苦しいものだ。

およそ過去をふりかえれば、ひとつひとつは置いておくとして、大局的にはただひとつを除けばおよそ選択にも判断にも後悔はない。 その一点を除外すれば、およそ私は正しく私を積み上げたと言っていいと思う。

もっとも、それは理論上の最善ではないのだけれども、現実的に可能な範囲という意味では。

もちろん、昔は随分と私は甘かった、という気持ちは強い。 これはいくつかの要因が重なっている。第一に自分の能力を過小評価したこと。第二に未来の進行を楽観したこと。 そして、そのために成すべきことを過小に見積もったことだ。

私は生きるためにとった選択は、随分細い糸だという認識があった。 中学校三年生、作曲コンクールの優秀賞。それだけにすがってサウンドクリエイターになりたいと門を叩いたときに、可能性は極めて少なくて、あまりに細く心もとないと思いつつも、これを逃せば生きてはいけまいと認識していた。

本当にひたすらに勉強して、練習して、仕事をしていた。まさに休みなくという感じだった。 だから、手抜かりしたという事実はないのだが、私としては当時から「逃げていた」という認識があった。

どうしても評価のほうが高くて実力が追いつかなかった。 その中で「音楽の、少なくとも作曲家としての能力を評価に追いつかせる」という努力と、「クライアントを失望させない。中学生でも、プロなんだと認めさせる」という努力は、 一方で演奏家としての評価に追いつかないことや、コンピュータの能力が置き去りにされていくこと、そして社会性を身に着けられないことから逃げるために没頭していた面もあった。

もともと天才型、つまりは感性派だった私は分析が結構苦手で、「どう努力すればいいか」ということが分からず、努力の効率が本当に悪かった。 根気がないということもあって、私自身は努力は苦手だと認識していた。 だが、直感と天性のものだけで乗り切ろうという考え方もやっぱり逃げだった。それで乗り切れるほどの才能がなかったからだ。

だが、これではダメだと認めることがなかなかできず、随分苦労した。

「だから、この頃までは間違っていた」というのは簡単なのだけど、実際はそんなことはない。 この「苦労した時期」がなく、着実に積み上げていたら、今私が立っているところより低いところで「無難な生き方」を選択できるようになってしまうので、ここまで到達できていない。

「苦労した時期」というのは、何もしていなかったわけではなく、既に私としては実証できているものに対しても含め、とにかく体当たりで「何をしたときにどうなるか」を試していた時期でもあった。 まぁ、「この仮定は正しくない」とわかっていることを正しくないことを確定することを優先して取り掛かったのはまた逃げだったりするのだけど。

転機は、まぁ何度か言っているように2008年の、皆既日食の日だけども、実際のところ今のベースになっているものは2012年と相当時間をかけて醸成されている。 この話は初出だ。

大きいのは、「努力が苦ではなく、向上に非常に強い執着がある。だから諦めないことと努力しつづけることは他者を隔てる武器になりうる」ということを発見したことだ。 「努力は苦手、根気がない」という自身に対する思い込みはなかなか解けない。多分、知らず知らず「努力が嫌いという自分のイメージと、もっと努力したいという衝動に折り合いがつけられない」という苦しみも抱えていたように思う。 「向上心」なんて言葉で自分を飾るのは好きじゃなかったし、なによりその言葉が自分の気持ちにしっくりこなかった。 だから、「これは非常に強い欲求であり、欲望なんだ」ということ、そしてそれを追い求めることは業とも言うべきものなんだと認識することは私にとって一歩踏み出すのに必要なことだった。

そして、やり続けることは私の中であまりにも当たり前過ぎてそこに特別な意味があるだなんて思っていなかった。 もちろん、非常に苦境にあって、あるいは弾圧されても信念を曲げないことは特別な意味があると思っていたけれど、その諦めないことと、普通にしていることはさすがに受け取り方に大きな差があったのだ。

でも、30を前に、「若くない」ところまで来ると続けているという事実が意味を持ち始める。 思えば、苦しいと思ったことや、嫌になったことは数え切れないほどある――なにせ才能に乏しく、伸びが悪いから敗北も、追い越されることも日常的にある――けれど、私はそれを「やめてしまうこと」につなげたことがなかった。 さすがに意味がないと思えばやめるけれど、それはあくまで意味がないからやめるのであって、「負けたから」「追い越されたから」「勝てないから」「一番じゃないから」やめるわけではない。「勝てないけど続ける」「才能はないけど続ける」「少しでも上達したいと願って行動する」ということに全く苦痛を感じない。そのことが特別だと知ったのはこのときだ。

そもそも感性派で、とにかく突っ込んでいってあったとは流れで乗りこなす、というタイプだった私は、自分が晩成型だと考えることは全くなかった。 スタート地点が高くスタートダッシュに優れるという点を考えればどう考えても早熟型だと思うし、伸びが悪いのだから、スタートダッシュで勝負にならないものは絶望的だと思っていた。 だが、現実には「他者が脱落するまで続ける」ことで成り立つ晩成型だった。才能に乏しい私のスタートダッシュなど、たかが知れていた。

論理的であることや、分析することはこれを期に大きく意味を持ち始めた。 実際のところ、私にとっては満を持してという感じだったけど、2年に満たない準備は自分を大きく変えるにはあまりに急ごしらえだったとも映るだろう。

すんなりうまくいくとは思っていなかったし、実際うまくいかなかった。 その過程で失ったもの、私の罪は肯定的に捉えようがない。条件の中で結果を出せるだけの能力と強さが私にはなかった。それだけだ。

それでも、蓄積を信じた。努力を信じた。 ありとあらゆる面で不断の努力を。たどり着けると信じて前進を続ける。 実際、何もかもがうまくいかなかったし、嫌になることも多かった。それでも正しいとわかっている努力を続けるということだけはやめなかった。


2018年11月。見積もりは56人月。 納期は、私ひとりで12ヶ月。 「実際は8ヶ月以内に片付けるつもりです」「私の心の中で言えば、2ヶ月ほどで片付けたいと思っています」

その言葉を信じられる人がどれだけいるだろう。 そもそも作ろうとしているプログラムの規模から言えば56人月で収まるという見積もりも「甘い」と嘲笑されてもおかしくない程度のものだ。 それを12ヶ月で、ひとりでやるなどと言えば妄語と断じられてもなにもおかしくはない。

私は、できると確信していた。

12月3日、大幅な仕様変更を伴い、見積もりの再作成、請求書作成。 この時点で作業量は当初の倍以上に増えていた。素直に見積もるのであれば112人月。 12月4日、着手。

12月14日、当初の目標物、完成。 12月22日、会計処理のため開発を一時凍結。 12月24日、クリスマスパーティ後の作業でパフォーマンスを約60倍まで向上することに成功。

12月30日、決算を完了し、帳簿作成を完了。 プロジェクトへ復帰。

1月7日、テストリリース。1月11日、本番リリース可能な仕様として凍結。

112人月相当を、ひとりで、実質30日で片付けた。 しかも、通常の業務(授業や、教材作成や、サポート業務)をしながら(年末なのでそれも登場よりも忙しかった)だし、さらにいえばテストリリース後はさらに難易度の高いプロジェクトに従事してもいた。 セールストークを抜いた予告どおり、私の理想値通りの結果だ。

やりきったこと、無事遂行できたことにとても安堵した。 私にとっては、ついに巡ってきた結実のときだった。


今、この区切りに、はっきりとこの意思と決意を述べたい。

私はWILLを信仰している。だから、ここに明確な意思を抱いて成し遂げよう。

今、私を遥かに凌駕する「人外」クラスのハッカーは、私より若い人も少なくない。 未だたどり着く方法も、実際にどれほどの差があるのかさえ、私には分からない。雲に隠れた霊峰の稜線だ。

だが、私は諦めない。 私を除いて人類が誰もたどり着けない境地へ、必ずたどり着く。

このWILLにかけて。

私がすべきことはいつだって変わらない。

全力を尽くす。

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