元々あまりイメージはよくなかった。何よりも、公器が平気でプロプライエタリなインターネットサービスを使うことを必須とすることに対して否定的だった。

また、publicなメディアであるのにtemporaryという、ネットにおけるコンテンツの在り方を逸脱したものをWWWを用いて、というところもだ。もちろん、それを雑談に使うのか?発信に使うのか?といった点や、保護されるべき個人情報がないがしろにされる、特に弱者が餌食になる構造にも否定的だった。

しかし、メディアとしての大きさには結局のところ抗えない。特に今はかつてのような発展、拡張の時代ではなく、インターネットサービスも集約、生き残りの時代だからなおさらだ。

だから、「Twitterの運営に関すること」と「Twitter上のコミュニティ」の問題は明らかに切り分けて考えなくてはいけない。

Twitterの運営は、設定がどうなっているのか、様々な設定や運営がどういう挙動を示すかということが不透明で、質問もまともに受け付けないサポート、説明になっていない説明など、かなりひどいものだと思う。インターネットサービスとして最低水準も満たしていないように思うだ。カスタマーハッピー思想の欠如ではないか。

また、radioでTVの人が、使えばすぐ理解するが、使わないとわからない、と言っていたが、使って特に機能や仕様や挙動は理解できなかった。かなり調べたり訊いたりすることになった。ゆえにサポートの不十分さも目に付く。

一方で、Twitterは「自分がフォローしている人と、そのつながりしか見えない閉鎖されたコミュニティを形成する」というのが、思った以上に独特な特徴を持っている。つまり、人によって「Twitterの見え方」は全く異なったものになるということだ。

だが、「つながる力」はかなり大きい。だから、「恐い」と思う。普通、どんな発言をするにせよ、例えきちんと発言に責任を持ち、publciなものであることをしっかり意識していたとしても、なかなか面識もない著名な誰かが直接反応するような状況は考えない。しかし、Twitterだと「本人の耳に届き、本人が反応する」ようなことが普通にある。そのつながりや影響が自分でコントロールできない。これは強みでもあると同時に厄介さでもある。

つながるきっかけは意外と少ないように思う。私が使いかたをしっかりと理解していないせいかもしれないが。

しかし、よくchatと比較されるが、全くの別物だと思う。chatは実際の伝播が限定的である、というだけの話ではない。chatは、相手と話すもの、という前提があるのだ。(IRCなどそうではないこともあるが)。しかし、Twitterは会話ではない。会話になることもあるが、やはりpublicなものであり、特定の相手に向けた発信ではない(DMはあるが)。だから、返ってくるとは限らないし、返そうという意識もない。chatのように「ちゃんと向き合って会話する」モードではないし、相手に向けてメッセージを出したり、また相手と会話を希望するのが難しい。加えて、自由発言のpick upはハードルが高い。会話むきのメディアにはなっていないと考える。

また、掲示板のように自由にpublicな発言を向けられるわけでもない。replyを出せば個人むきととられるし、公衆での1:1の発言と捉えられるからだ。これは、ブログのコメントにも言えることで、メッセージを届けたい時にも使いにくい。というより、ブログとTwitterな時代では、publicに特定の対象に向けて何かメッセージを出そう、ということが極めて阻まれる。これによってメールも制限されることが多いのでなおさらだ。

このメディアとしての不自由さは、少々ひっかかる。

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