この言説、結構みかけるのだけど、実際のところ私は「間違った言説である」と思っている。

この言説についてちゃんと考察してみよう。

根拠は

おそらくは「使っていること」特に「抵抗なく使っていること」にあるだろう。

実際、おおよそそうだと思う。私は全くそんなことはないので共感はできないが、感想上の実感としても加齢とともに新しいことに対する拒絶感が強くなり1、能力的に習得可能か否か、あるいは理解可能か否かとは関係なく「受け入れないから」習得できない (というか、積極的に「習得しない」という選択をする) と言える。

こんなものは興味関心の強さが使えるようになる度合いに直結しているので、差が生まれるとすれば積極性しかない、とも言える。 別に脳の構造がそもそも違うわけでもなければ、概念の違いが特別習得困難性を生じるようなものでもない。

なぜ積極性が生まれないのか

電車の中で観察する限り、特に年齢によるハンディキャップがあるように見えないし、「若くないからスマホが使えない」というようにも見えない。 ただ、以前はややその傾向があったのは確かだ。スマホを特に好むのは20代前半以下であり、それより上の世代は保守的でスマホ自体に対して否定的な傾向があった。

この構図はごく単純に、「学生はスマホを使っている子がいれば羨んだし、ある程度普及すればスマホでないことがコミュニケーションディスアドバンテージになったから、人間関係を円滑にするためにそもそもスマホが必要だった」のである。 大人になればコミュニケーションの必要性や頻度、そして切実度は下がる傾向が強いから、既に大人であった人にとっては、例えケータイがなければ困るという実態があったとしても、「スマホがなくては困る」ということはそれほどなかったのだろう。

しかし、大人であっても遅ればせながらスマホが浸透し、「みんなが使っている」という事実が出来上がっていけば「スマホであるべき」という状態に流れていくし、スマホの便利な使い方が確立されるに従って相対的には「スマホでないことが不便」という状態になっていく。 だから、大人でもスマホを使うようになる、というわけだ。2

現在スマホの必要性を感じていない人は、よほどこだわりがあるか、知識があるのでなければ、周囲にスマートフォンを積極的に使う人が少ない、あるいはリモートコミュニケーション密度が低い、もしくはその両方なのではないだろうか。

より広く考えても、結局のところ「何らかの理由で積極性を持つものはよく使うようになり、積極性を持たないものは仮に技能を保持したとしてもあまり使わない」という結論になる。 実際、私はスマートフォンに関して一般ユーザーよりは知悉していると自負するが、ほとんど使わない。電車の中でも特に必要がなければいじらないし、家の中でいじることは基本的にない。

そして、世代によって、というよりも「中学生である」「高校生である」「新米社会人である」といった属性によって文化的差異から身近か否かという階層化が生じ、その結果世代によって得手不得手が発生する。 現実として、ちょっと昔は「若い子はパソコンを使いこなしている」と言われたが、現在はコンピュータを得意とする若い子というのはかなり少ない。

本当に使いこなしているのか

コンピュータであってもそうなのだけど、「使う頻度」と「使う幅」には必ずしも相関性はない。 例えば、LINEとツムツムのやり方だけ覚えて、ずーーーーっとLINEとツムツムだけしている人が、突然スマートフォンを高度に活用するように求められていともたやすくできるわけではない。そして、そのような高度な使い方を習得するとして、明確なアドバンテージがあるわけでもない。

「抵抗がなく、使う機会も多いから触っている時間が長い」ということは、単にスマートフォンの利用量と依存度の問題であって、技量を意味していない。

じゃあ、例えば

  • コミュニケーションメディアの特性や問題点や仕様を正確に把握して使い分けられるか
  • アプリのセキュリティ上の問題を把握しているか
  • 同種の複数のアプリの中から状況に対して最適なものを選択できるか
  • スマートフォンの仕組みを理解し、説明することができるか
  • スマートフォンを活用して達成したことがない目標を提示されたときにスムーズにその達成に導くことができるか

というと、そんなことはなくて、むしろスマートフォンを使うことが「自慢できるような先進的なこと」だったときに早期に飛びついた人はかなり高い積極性を持って使っていたから結構詳しくてスキルも高かったりするのだけど、現在は使い方が確立されていることもあって、既知の知識と行動の範疇が「常識の枠組み」となってしまい、スキルは上がらなくなってしまっている。

どちらかといえば「当たり前にあること」は(特段の積極性がなければ)向上面ではプラスに働かないのだ。

近年のスマートフォンなどに代表されるUIは「直感的」だと言うが、実際のところこれまた好奇心に依存するものであり、今や普通になったハンバーガーメニューでさえもスマートフォンライクなUIが先進的だと思って使った人はその探究心から理解しようとして理解できたということでの「直感的」だったし、故に戸惑うことなく利用できるが、既存の知識を利用して使っている今の若い子は今するところも、操作方法もわからないという傾向が強い。3

結局、「若い、という理由で使いこなせているように見えるならば、それは自身の好奇心の衰退と挑戦心の喪失と保守化を示している」と考えて良いのではないだろうか。


  1. neophobiaになる理由はいろいろ言われているが、単純に変化を様々な理由で嫌うことと、現状で目的を達成できているという驕りあたりが特に理由ではないか、とは思う。ただ、そもそも「推測可能な理由がたくさんある」時点で「全然不思議ではない」ということでもある。

  2. 実は私もスマホに対してはかなり保守的で、「持ってはいるけど全く使わない」という状態だった。スマホになったのは、携帯電話ハードウェア的にフィーチャーフォンが利便性を低下させたこと、サービス的にフィーチャーフォンでは利用困難になっていったことが大きい。つまり、「相対的にスマホが便利だから」ではなく、「機能的にフィーチャーフォンの優位性も損なわれから」という理由で、筋金入りである。スマホをちゃんと使うようになったのは2015年からで、これは「willcomがY!Mobileになって、フィーチャーフォンラインナップがなくなった」という理由である。

  3. これはちゃんとデータをとった上で述べている。

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